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【アラベスク】  第2章 真紅の若葉



第2節 丘の上の貴公子 [11]




 大きな車用の門の隣。小さな木造だが、外部の者を拒むかのような威厳を備えた扉。
 出て行くときに教えられたよう、インターホンで名前を告げる。やがてカチリッと音がする。鍵が開き、美鶴たちは中へ進む。
「植物園か?」
 聡の言葉に、山脇はただ笑うだけ。
 植物園は大袈裟(おおげさ)だが、手入れの行き届いた木々が建物を覆い隠すように立ち並ぶ(さま)は、それなりに息を呑む光景。そうでありながら迫力や圧倒感を感じないのは、その庭が訪れる者を虐げないよう、緻密に造られているからだろう。それだけ手が込んでいるということだ。

 なるほど これほどの家なら、彼女の制服代など、所詮雀の涙だな。

 公園を散歩するような感覚で歩き進めると、程なくして玄関。入り口には見慣れた老人。彼は三人の姿を認めると、傍らの使用人を残して中へ入っていく。
「おかえりなさいませ」
 そう頭を下げられ、美鶴もなんとなく頭を下げる。そこへ響く、甲高い声。
「おかえりー」
 その姿を見た瞬間、本当に身体が固まった。いや、凍ってしまった。
 薄いベージュの品の良い服を纏った母が、ベタベタに化粧を塗りたくって出てきたのだ。
 お… お化けっ!
「どう? 霞流さんにもらったの」
「もらったぁ?」
「そうよ。霞流さんのお母様のものなんですって」
「はぁ?」
 思わず声をあげる美鶴に構わず、詩織は裾をつまんでくるりとまわる。
「いいでしょう?」
「偶然見つけたのですよ。きっと母も覚えていないでしょうから」
 首から上だけ異常にドギツい詩織の後ろから、涼しげな風貌が姿を現す。
「おかえりなさい。どうでしたか?」
 だが美鶴の言葉は、母の奇声にかき消される。
「あらぁ! 聡くんじゃないっ! まぁ、瑠駆真くんも。どうしたのぉ?」
 美鶴の額に青筋が立つのも気付かず、二人の少年へ近づく詩織。
「こんちわー」
 聡は片手をあげ、山脇はニッコリと微笑む。
「お友達ですか?」
 首を傾げながら問いかけてくる霞流へ向かって、口を開きながらも美鶴は言葉を失った。
 そう言えば、なんでこの二人はここに居るワケ?
 口を半開きにしたまま止まってしまった美鶴に、霞流が目を少し見開く。
「どうしました?」
 ハッと見上げる視線の先で、目尻の少し上がった切れた細い目が、やんわりと瞬く。
 美鶴の表情に戸惑いながらも笑いそうになるのを押さえ、しかし口元に笑みを上らせてしまった。そんな雰囲気の霞流に、思わず両手で口を押さえる。
 私、何やってんだ?
 そんな、絶句したまま動けない美鶴の背後から、かったるそうな声。
「あー、俺は金本聡。美鶴の友達。ってか幼馴染」
「僕は山脇瑠駆真」
「こんにちは。私は霞流慎二。美鶴さんとはちょっとした知り合いです」
「うん。あの駅舎のことで知り合ったんだろ?」
「ご存知ですか」
 言い当てられても別に嫌な顔もせず、霞流はごく自然に、視線を美鶴へ戻す。
「とりあえず、こちらへどうぞ」
「えー…… はい?」
 なんとなく返事をする美鶴の肩越しに、詩織がにゅーと顔を出す。
 わわわっ!
「霞流さんね、あんたのために美容師呼んでくれたんだよ。もぉ一時間くらい待たせてあんじゃない? あんたってさぁ、携帯も何にも持ってないじゃん。連絡取れなくってさぁ。いつ戻ってくるのか待ってたんだよ」
「美容師?」
 詩織の言葉に、美鶴は目を丸くする。そんな美鶴を、霞流はやさしく見下ろした。
「お母様からお聞きしましたよ。昨夜の火事で、髪の毛が少し燃えてしまったようですね。焦げた部分をハサミで切ったとか?」
 そう言って、背中で束ねた美鶴の髪に指を絡ませる。
「普通のハサミで切ると、髪の毛は痛みます。短くしなくても、せめて毛先は整えておいた方が良いですよ。せっかくの髪が台無しです」
 大して手入れもしていない、伸ばしっぱなしの髪の毛。母の化粧ポーチに入っていた眉カットのはさみで切った、その不揃いな毛先。そこに霞流の、指の温もりが伝わる。
「べ、別に、もともと台無しな髪ですから、整えるなんてことしな―――」
「髪の毛くらい、俺が切ってやるよっ」
 しどろもどろに答える美鶴の言葉尻を、ぶっきらぼうな声が遮る。同時に大きな掌が、霞流の指から髪の束を奪い取った。
「お前さぁ、もともと短かったじゃん。これから夏だし、いっそ前みたいにバッサリ切ったら? 俺、切ってやるよ」
「えぇ? アンタ、髪切れるの?」
「あんだよ? 髪くらい切れるぞ」
「やめてよ。恐ろしい」
「何が恐ろしいんだよっ!」
 整った男らしい眉を寄せて見下ろしてくる聡を、キッと見返してやる。
「結構ですっ それに、別に髪なんて切る必要ないもの」
「えぇ? せっかく霞流さんが呼んでくれたんだから、毛先くらい切ってもらいなよ。だいたいさぁ、あんたの髪ボッサボサじゃん。髪型だってダサいしさぁ」
「ダサくて悪かったわねぇ」
「何よ その言い方っ!」
「お母さんこそ何よっ!」
「まあまあ」
 霞流が(なだ)めるように割って入り、改めて美鶴と向かい合う。
「せっかくですから、毛先くらい切っておきましょう。短く切りたいのでしたらそれでも構いませんし」
 そう言ってチラリと聡を見やるが、聡はプイッと視線を外す。
「いかがですか?」
「別にお金もかからないんだしさぁ」
「お金かからないって、どういうコトよぉ?」
「いつもお世話になっている美容師に来て頂いたのです」
「月いくらって契約で、いつでも切りに来てくれるんだよ。すごいよねぇ〜」
 化け物は黙ってろっ!
 母の割り込みに心内で怒鳴り、だがすでに呼んでしまっている美容師を、追い払うワケにもいくまい。それでは霞流の面目を、潰してしまうコトになる。お世話になっている以上、それはマズいだろう。
 切ってもらうかぁ
 ホウッと息を吐く美鶴を見て、霞流は使用人へ目配せをする。
「こちらです」
 心得た使用人に案内されるがまま、奥の部屋へと連れて行かれる。その後に聡がひっつき、物珍しげに詩織がくっつく。

「わかりやすい子ですね」

 三人の背中を見つめながら霞流はそっと呟き、傍らで一歩踏み出しかけた山脇へ、首を傾ける。
 問われて、だが山脇は言葉では答えなかった。ただじっと、相手を見つめる。
「でしょ?」
 やや鋭い山脇の視線にも臆することなく、霞流はさらに念を押す。
 山脇は、瞳を細めた。
「まぁ、あれで気づかなかったら、あなたを軽蔑しますよ。そこまで鈍い人間は、滅多にいない」
 では、詩織のようにまったく周りが見えておらず、聡の心内など欠片も気づいていない人間を、君は軽蔑するのか?
 そんな言葉を呑み込み、霞流は肩を(すく)めた
「となると、ここへ来たのは、いわばボディガードという意味ですか?」
「ガードというより、むしろ半分はアタックですね。標的はあなたと言って間違いない」
「やれやれ。では、彼の前では言動に気をつけた方がよいようですね」

「彼の前だけでは…… ないと思いますよ」

 瞠目(どうもく)し、やがて傍らの美少年に片眉をあげた。

「なるほど」

 そう呟いて、口元に笑みをのぼらせる。
「あなたも…… ですか」
 今度は山脇が片眉をあげる。
「僕は、わかり(にく)かったですか?」
 皮肉を込めて問いかけると、相手は申し訳ないというように瞳を閉じた。
「軽蔑されてしまったようですね」
「それは、答え次第ですね」
「答え?」
 怪訝そうに瞳を開く。山脇は、半眼で相手を見返す。
「この際ですから、答えてもらいましょう。それがここに来た最大の目的でもあるし」
「質問は?」
「あなたの真意です」
「真意?」
 (おもむ)ろに腕を組む。
「どうして大迫さんに、あれこれ手を出すんですか?」
「手を出すなんて、人聞きの悪い。私はただお困りのようだから、お手伝いをしているだけのことですよ」
「それだけ? それだけにしてはあまりにお節介のような気もしますけど」
 強い光を放つ山脇の視線に、霞流は笑った。それは、決して気味の悪いモノではなく、ただ柔らかな、春の陽射しのような微笑。
「申し訳ありませんが、私は美鶴さんに対して、特別な感情は抱いていません。大丈夫です。あなた達の恋路を邪魔するような存在ではありませんよ」
「とりあえず、今はその言葉を答えと受け取っておきますよ」
 腕を解き、両手をズボンのポケットに入れ、冷たく答えて一歩踏み出す。そうして、もう姿を消してしまった美鶴たちを追うように、山脇はその場を後にした。
 残された霞流は、ただしばらくその場に立ち尽くした。
 どこからともなく吹き込んだ風が、背中の髪の毛を巻き上げた。







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